ドラマ版のセクシー田中さんを10話録溜めしていたので、昨夜見た。
原作であるマンガは見ていない
ドラマ版のセクシー田中さんは面白かった。一話、二話、三話、と面白いので続けて見てしまった。
9話、10話、はマンガを描いた原作者が脚本を書いたと言われていたので
田中さんがどう変わるのか?
注視した
ドラマ版の田中さんと
マンガ原作の田中さんは
別人物と感想した
マンガ原作の田中さんを知らないから無意味な感想かもしれないが
原作者の世界に現れたセクシー田中さんと、脚本家の世界に現れたセクシー田中さんは別人物な気がした
この問題は、どちらが本物と見るものではない気がする
ドラマ中にあった言葉
恋されるより尊重されたい
映画マダム・イン・ニューヨークに現れた言葉のようだ
相手から尊重されている
と感られれば
人は歩み寄れる
マンガ原作を見ていない私には、ドラマのセクシー田中さんに共感できた。
マンガ原作のセクシー田中さんに共感した人は、ドラマのセクシー田中さんに違和感があったのか?
マンガのセクシー田中さんと、ドラマのセクシー田中さん、二人を同一人物と見るから違和感が産まれる
マンガのセクシー田中さんは「原作者の世界に現れたセクシー田中さん」
ドラマのセクシー田中さんは「脚本家の世界に現れたセクシー田中さん」
原作者と脚本家が互いを尊重しあえる時間と空間を「小学館と日テレの担当者」は用意したのか?
相手から
尊重されていると感じたら
人は歩み寄れる
原作者の方は「自分の世界に現れたセクシー田中さん」をリスペクトしていたのだろう
田中さんじゃない
ドラマの世界に現れたセクシー田中さんを許容できなくなった
原作者と脚本家が「互いのセクシー田中さん像」を語り与える時間と空間があったなら
互いの世界に現れたセクシー田中さんを、互いに尊重できる時間と空間が設定されていたなら
と残念に思った
違う意見なのだから
尊重を大切にする
尊重から産まれる怒りなら
喧嘩はしても戦争にはならない
そんな気がした
セクシー田中さんから
尊重することの大切さを
この歌がしみた