数年前までは、どっぷりスピリチュアルな思考の中にいた
並木さんや矢作先生などのイベントを運営したり、その手の不思議ストーリーが大好きだった
いまはスピリチュアルを「意識の中のひとつ」と位置づけ、前のような興味は失くなっている
日々の仕事として、スピリチュアルな相談を受けることがあるので「そちら」に意識を合わせることがある
最近、そちらが「近い」気がする
距離が近い
そちらとは?→思考を揺さぶる感情が存在しない意識が居る場所
そこは「身近な高次元意識の世界」と言える
思考は存在するが、思考が感情に侵食されない。第一の悟りの世界と言える。
人間界で「解脱」と示されている状態の第一段階が「感情に侵食されない思考」と表現できる。
ボクが知るスピリチュアルリーダーの中で「ここに居た」のが、並木さん、木内さん、chie artさん、kanさん、さこ先生
kanさんは面白い解脱者で、そちらに居るのに、こちらをあえて握っている不思議な解脱者だった。
そちらと対話できる状態に、自分を置くことは「生きることを暖める」。
生きることが暖まるとは?思考が感情に侵略されなくなると言うこと。
侵食はされるが侵略はされない。この状態は「自分らしい判断ができる状態」になる。
仕事の目的は、相手がこの状態になれるようサポートすることでもある。悩みは?自分らしい判断ができない状態と言えるからだ。
洗脳は、自分らしい判断ができない状態のまま「不動の善悪を植え付ける」になる。外部と接触できない環境を好むスクールは、「不動の善悪を植え付ける」ことで迷いから救済する。
極端な精神状態(戦地からの帰還など)であれば仕方のない手法だと思うが、相手を思いやれる社会性が維持できているなら必要のない救済環境になる。
仲間とは談笑するが、価値観が違う相手には苛ついたり無関心になったりするケースは「洗脳により救済された方」と認識する。ここに居る方たちには基本、触れないことにしている。
そちらに居る意識たちは「感情に侵食されない思考を持っている」ので、対話できると「自分らしい判断」ができるようになる
ここのサポートは、これからも続けるつもり○