
新年明けましておめでとうございます
ただいま神社の守り中です
エゴはプラスとマイナスで現れます
エゴは心地よさを求めます
だから不快を嫌います
魂という概念を受け入れると
快不快は、エゴが気にしているだけで
魂はそれを体験しているだけという
新しい感覚が産まれます
この感覚は、快不快に自我を持ってかれません
快不快は確かに存在する
だけど
快不快を人生の本質とは思わなくなる
人生の本質は?
快と不快、どちらも乗りこなす機転の利く自分構築に
なるのかな
快を強力に求める限り、エゴ主体の自我なので悩みは尽きないでしょう
快も不快も、ただのプラスマイナス
どちらに振れても、実は同じステージ
乗りこなせる自分は、魂主体の自我だから人生の意味、
変わるよね
結構、お参り
くるんだなー
今年もよろしくお願いします