ウエサクバレーに行く前に開いた一期の会。名古屋からも参加があった。
「が」を外す
肉体がある限り「が」を外すことはできない。この場合の「が」を外すとは「嫌な自分を外す」というものだ。
安心に満ちた自分になる
目の前を安心に導く自分になる
これが「が」を外すというものだ。国津神化するとこれが当たり前になる。ここのコツを一期の会で伝えた。今のは「が」だ、と気がついた瞬間、国津神化している。ここに常に気を配るだけで1ヶ月もすればかなり完結に国津神化している。
悟りに至るのに、資格も、大学ノートへの書き込みも要らない。これは「が」だと、ひたむきに気がつき続けるだけでいい。
「が」がどれほど努力しようと
「が」のままだ
「が」のままでは不安は拭えない
先ずは「が」を外そう
神様の診療所
瞑想会終了後、ヤンタラジローさんのそばに行った。いつものぼくの高笑い、ぼくはヤンタラジローさんに手を振った。それはそれは不思議なくらい長く振りかえしてくれた。
ウエサクバレーに行ったぼくは自由行動になったとき、なんの変哲もない木の中に入った。幹から枝に、枝から葉に、葉の中の血管に入り懐かしさと共に洗浄された。とても楽になった軽くなった。
葉の中から出たぼくは、虎、龍、麒麟、鷲、がミックスされた大きな狛犬になっていた。お腹には白い少女が寄りかかり寝ていた。その狛犬のひたいにはうねった樹木が埋まっていた。世界樹だろう。
安心ではなく安息
安息がもたらす絶対の安心
ウエサクバレーで少女と過ごした時間は新たな時間を予感させた。